更新日 2015年(平成27年)6月21日


 わたしのいとこの中には、生まれながらに体に不自由さのある人がいます。
 その人の生き方に接していくうちに自ずと、そのような人に役立てる仕事に就きたいという思いが芽生えていました。

 ただ、すぐにその道に進んだわけではありませんでした。  
 国際障害者年がその思いを確かめさせてくれるきっかけとなり、その行動年として定められた10年間が終わろうとする頃になってその願いがかないました。  
 結果的にその思いを持ち続けていたことが、その道につながったように思います。  
 それは、ふと新聞折り込みの求人広告に目をやっていたときでした。  
 身体障害者療護施設の介護職員の募集を知り、その施設へいってみたところ、その居住者を信頼しビジョンをもって支援しようとしている人にお会いでき、意を決して採用試験を受け、中途採用ではありましたが正職員として採用していただけました。  
 わたしが34歳になる時のことでした。   
 それから3年は、ただただ嬉しいという思いで仕事をしていましたが、次第に居住者の一人ひとりとかかわらせていただいていくうちに、その確かな支援に役に立っていきたいという思いから、介護はおろか社会福祉について何も学んできていなかった自らを反省するようになりました。  
 そこで、社会福祉主事任用資格の1年間の通信課程を修了してから、居住者の一人ひとりから教えていただいてきたことに基づき介護福祉士の国家試験を受験してみました。
 合格はしたもののそこではっきりと自らの未熟さを痛感し、あらためて介護の学びをし始めるとともに、社会福祉士の受験資格を得られる通信課程で1年ほど学び、社会福祉士の資格も取得しました。
 ここで振り返って、お世話になってきた居住者の一人ひとりを顧みたときに、16人の人が既にお亡くなりになっていることに思いをいたし、わたしを大事にし、介護者として育てて下さったそのお一人おひとりに感謝し、その教えを生かしていくことを考え始めていました。
  そんな折に、全く予期せずして、植草学園短期大学の教員として介護福祉の教育に携わる道への募集を知り、その道に進む決意をし、介護福祉サービスを利用する権利を有する一人ひとりにとってのより良き生き方の実現を支援する介護福祉士のあり方を、教員となって学生と共に学んでいくために、教育の場へと転職しました。  
  それから、短期大学の常勤専任講師として10年間を過ごしましたが、そこで意を決し、11年目を迎えた2011年度(平成23年度)限りで退職して、いままでに自ら培ってきた思いと力を、わたしなりにも生かすことのできる新天地を探すことにしました。
 その際、目にとまったのが、丸の内学園 名古屋福祉専門学校 のホームページに記載された高等課程のたくさんの生徒の感想文でした。
 その全てを読みながら感動して涙が流れました。
 幾度も繰り返し読みました。
 その中から多くが専門課程の学生へと進学して来ているのです。
 わたしは、54歳になる2012年度(平成24年度)から、導きによってめぐりあうことが出来たこの専門学校における常勤専任教員として、学生との学びあいに全身全霊をささげていくことにし、着任しました。
 もっとも、それから3年目の夏を迎え、郷里へ帰省した折に、改めて自らの人生における課題を熟考したところ、
「わたしにはまだやり残していることがある。」「やり遂げなければならないことがある。」ということに目覚めました。
 そして、今日わたしがあることへの恩返しをしていくために、敢えて挑戦していく生き方を選ぶことにしました。

 わたしは、2015年度(平成27年度)から 学校法人神谷学園 東海学院大学 健康福祉学部 総合福祉学科の常勤専任講師として勤務することになりました。