更新日 2020年(令和2年)4月29日(水)

                            
平和公園 原爆落下中心地標柱

撮影場所: 長崎県長崎市松山町171番地

 中学生という、人生における可能性に満ちた時期。誰しも通り過ぎる時期ではあっても、これほど大切な時期はない。この時期でなければ表現することの出来ない純真な歌声。その尊い合唱を、わたしはかつて長崎の爆心地でも聴いたことがあります。
 その際、中学生が花束と千羽鶴を献じ 黙祷してから、平和の祈りを込めて鎮魂し、ひたすら捧げる清らかな「大地讃頌」の合唱に、こころを強く打たれました。
 立ち去った後に その千羽鶴を拝見したところ、それには沖縄県の中学校であることの明記が付されていました。沖縄の中学生は、本土に避難する途中で 疎開船 対馬丸が撃沈され 海の藻屑となった生徒のために、海上でも花束をたむけ鎮魂してから長崎の爆心地を訪れるのだそうです。  
 この写真は、その時に撮った写真です。
 その後 この地を再び訪れてみたところ 綺麗な公園に改修されていましたが わたしには この以前の爆心地公園の方が、記念パークというよりも、鎮魂の祈りをするための厳粛な場としての雰囲気を強く感じさせてくれていたように思えました。




最終更新日 2019年12月3日                          

平和の詩「生きる」沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん
毎日新聞 共同通信 2018年06月23日 17:22
沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添市立港川中学3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が、自作の平和の詩「生きる」を朗読した。

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
 
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 
私は今、生きている。
 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
 
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
 
私はこの瞬間を、生きている。
 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
 
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
 
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
 
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
 
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
 
今を一緒に、生きているのだ。
 
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
 
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
 
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
 
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。



平和の詩朗読に先立って行われた献花の場面
献花台に向かって一番左に立つ相良倫子さんの隣で献花の仕方に戸惑いやり直す女子小学生の行動の遅れに合わせて待つ、相良倫子さんのさりげない思いやりの行動が素晴らしいです! 横目で右に位置する女子小学生を見守っていたので、拝礼して一歩戻る際に女子小学生の側へ少しよろけた様子も見受けられます。 大戦で沖縄戦が終結してから73年目を迎えた2018年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で世界へ向けて平和宣言を死力を尽くして発信した翁長雄志(おなが たけし)知事(67)(25:16~)に続き、自作の平和の詩「生きる」を、相良倫子(さがら りんこ)さん(14)が(32:00~)朗読して高らかに誓ったように、日本は、戦争の愚かさと悲惨さを痛感し、「 “本当の平和” を希求し、その実現へ向けて、今、生きている一人ひとりの日本人が、弛(たゆ)むことなく、平和によって平和を維持して行こうとする決意を継承し、そのために行動し、“真の平和” へと発進し続け、それによる総意を常に新鮮に保ち、友好親善によって平和を維持して行く国」として、世界と共に在り続けたい。 自国の利益とその立場からのみの主張を押し通すために、他の国や地域を凌ぐ軍事力という破壊力で、他の国や地域に脅威を与え、その威嚇に屈服しなければ犠牲を強いてでも戦力を行使して従わせようとするのではなく、「平和をこころから愛し、平和によって国際紛争を防ぎ解決して行く国」として、世界と共に在り続けたい。
 人間とその社会は、一個人がより強大な組織の重要な役職に就くことによって得られる権力を後ろ盾とした覇権を用いて、人と社会に影響を与えるのみならず支配することをも可能にしました。 人間とその社会は、一個人がより巨額の富を得ることによって得られる財力に物を言わせた債権を用いて、人と社会を支配することをも可能にしました。 人間とその社会は、一個人がより多くの人びとに共鳴を与えることの出来る主義を用いて、人と社会に影響を与えるのみならず支配することをも可能にしました。 人間とその社会は、一個人がより多くの人びとに啓示を与えることの出来る宗教を用いて、人と社会に影響を与えるのみならず支配することをも可能にしました。 相良倫子さんの平和の詩「生きる」とは、それらの力が恣意的に行使された結末としての戦争を憂い、繰り返されて来たその愚かな過去とそれによる幾多の犠牲者への鎮魂と共に、“わたしが生きている限り” もう二度とその愚かさが繰り返されることのないように、平和を想って、平和を祈って、発進し、あらゆる利害を超えて一人ひとりが共に生きて行く在り方として、真の平和を、今という未来と共に実現するために行動し続けて行くことを誓う、真の平和宣言だったのではないでしょうか。 今、生きている一人の大人として、わたしも襟を正さなければなりません。





最終更新日 2019年12月3日
「ヒロシマと音楽」ヒロシマ・音の記憶 Vol.2 ~繋がり~

上記動画のYouTubeリンク 映像制作 Click Farm 松浦 康高  YouTubeへの投稿者:HIROSHIMAstream
混声合唱のためのカンタータ「土の歌」作詩: 大木惇夫 作曲: 佐藤眞 より (全7楽章中 奇数楽章のみ)
・第一楽章 農夫と土  ・第三楽章 死の灰  ・第五楽章 天地の怒り  ・第七楽章 大地讃頌

指揮: 猪原龍吉(広島市出身 1964年 慶応義塾大学法学部卒 1967年 広島で有志とコール・アルス・アンティカ結成。1976年 古楽器演奏グループ 広島プロムジカ・アンティカ結成 ) 
ピアノ: 小林知世(広島市出身 2015年3月 エリザベト音楽大学大学院博士課程修了 音楽博士)
合同合唱: 崇徳高等学校グリークラブ、安田女子高等学校音楽部、広島女学院高等学校音楽部  
広島市東区民文化センター 大ホール 2011.6.25(東日本大震災 2011.3.11発生から3か月余りという日におけるコンサート)

※本当に素晴らしい合唱演奏です! これは 上手で美しい合唱 というだけでは決してありません。肝要なのは、どのような こころで歌い上げているのか ということです。もしも、わたしが実際に この会場で この合唱演奏を体験していたなら、時間を止めて この時間といつまでも一緒に居たい!という思いに駆られたことでしょう。こころを洗ってくれるような清らかさをもって、人間が存在し得る故へ 畏敬の念を抱くべきことを、切々と諭されているようで、社会に毒されていない純真なこころを有する少年少女のみが現し出すことの出来る崇高な精神性を感じ、感慨にひたりました。

歌詞

第一楽章 農夫と土
 耕(たがや)して 種(たね)を撒(ま)く土
 人皆(ひとみな)の いのちの糧(かて)を 創(つく)り出す土
 耕(たがや)して 種(たね)を撒(ま)く者
 農夫らの 楽しみの 種子(たね) 悲しみの種子(たね)
 ともかくも 種子(たね)が いのちだ
 朝 星を見て 野良に出る
 働いて 額(ひたい)に汗して
 夕星(ゆうほし)を見て 帰るのだ
 種子(たね)をはぐくむ 土こそは
 種子(たね)を撒(ま)く者の 夢だ 望みだ
 そして祈りだ
 花さき みのる
 毎年(まいねん)の 約束の不思議さよ

第三楽章 死の灰
 世界は絶えて 滅(ほろ)ぶかと
 生きとし生けるもの皆(みな)の
 悲しみの極(きわ)まるところ
 死の灰の怖(おそ)れは つづく
 文明の不安よ 科学の恥辱(ちじょく)よ 人知の愚(おろか)さよ
 ヒロシマの また長崎の
 地の下に泣く いけにえの 霊を偲(しの)べば
 日月(にちげつ)は 雲におおわれ
 心は冥府(よみ)の路(みち)を さまよう

第五楽章 天地の怒り
 雷だ 稲妻(いなづま)だ
 嵐だ 雨だ 洪水(おおみず)だ
 土手(どて)が崩(くず)れる 崖(がけ)が砕(くだ)ける 橋が流れる
 樹(き)も 垣(かき)も 根こそぎにされる
 濁流(だくりゅう)が 家を呑(の)む 人をさらう
 地の上に山脈(やまなみ)があり 地の上に重みがある
 地の下に燃える火があり 地の下に怒(いか)りがある
 地の上に 絶えずかぶさる 人間悪よ
 地の上の なげきは 深い
 長い年月(としつき)
 火の山の 爆発だ 地震だ 火事だ
 熔岩(ようがん)が流れる 尾根(おね)が崩(くず)れる
 落ちる 雪崩(なだ)れる 火の海だ
 修羅(しゅら)の巷(ちまた)だ
 逃げ惑(まど)う人の 凄(すさ)まじい叫(さけ)び
 うめき のけぞる ころがる
 煙突(えんとつ)が倒れる 時計台が崩(くず)れる
 荒れ狂(くる)う 町

第七楽章 大地讃頌(だいちさんしょう)
 母なる大地の 懐(ふところ)に
 我ら人の子の喜びはある
 大地を愛せよ 大地に生きる
 人の子ら その立つ 土に感謝せよ
 平和な大地を 静かな大地を
 大地を 誉(ほ)めよ 頌(たた)えよ 土を
 恩寵(おんちょう)の豊かな大地
 我ら人の子の 大地を誉(ほ)めよ
 頌(たた)えよ土を
 母なる大地を 母なる大地を
 頌(たた)えよ 誉(ほ)めよ 頌(たた)えよ土を
 母なる大地を ああ 頌(たた)えよ大地を ああ




最終更新日 2019年4月16日

西日本新聞記事「水俣は見捨てられたんですね」 天皇陛下、患者に心寄せ続け

2018年04月02日 06時00分

上記の西日本新聞記事から

 「不知火海の向こうに天草の島々が見える。熊本県水俣市の水俣湾埋め立て地。水俣病を引き起こしたメチル水銀が今も、コンクリートや土砂で封じ固めた地下に眠る。
 2013年10月27日、天皇、皇后両陛下は初めてこの地に立たれた。
 「語り部の方々とお会いしたい」。陛下の意向が県を通じて市立水俣病資料館の島田竜守前館長(53)に伝わったのは訪問の約2カ月前だった。宮内庁とやりとりする中、陛下の水俣に対する思いを伝え聞いた。
 「機会があればぜひ、水俣に行きたいと思っていた」「胎児性患者たちと皇太子の年齢が近く、水俣病は身近な問題と感じる部分があった」-。
 島田さんは緊張の面持ちでその日を迎えた。陛下の資料館滞在は51分。1956年の水俣病公式確認から68年の原因確定までの経緯を説明している時だった。
 「水俣という場所は、見捨てられたんですね」
 陛下の問い掛けに、島田さんは言葉を詰まらせた。背後には国や県の関係者がずらりと控えてもいた。答えに窮した島田さんに、陛下は繰り返した。
 「水俣は、見捨てられたんですね」
 水俣病問題の核心を突く陛下の言葉だった。59年、熊本大医学部の研究班が水俣病の原因をチッソの工場排水による有機水銀と突き止め、チッソもネコを使った実験で把握していた。それでも、原因確定まで9年が費やされた。
 「はい、そうです」。ためらいつつ、島田さんはそう答えた。「陛下はよほど事前に勉強されたのだろう」と身を硬くした。」

 「語り部の会の緒方正実会長(60)が「正直に生きる」と題して講話した後、天皇陛下は語った。「真実に生きることができる社会をみんなでつくっていきたいと改めて思いました」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」
 陛下が公式の場で、水俣病に関して語ったことはほとんどない。異例の発言は1分間に及んだ。」


※物語の「裸の王様」では、プライドと保身の心理を巧妙に操り悪用することで儲けようとする狡猾な詐欺師に騙された結果、当の王様はもとよりお后も、そして家臣や国民の誰もが王様が裸であることに口をつぐんで、“不相応な仕事に就いている者や愚かな者には透明で見えないという とても綺麗な色合いをした不思議な布で作られた服” が見えている振りをし合っているのでした。ところが、社会に毒されていない一人のこどもが、“王様は裸だ!”と叫んだ途端に、その嘘でつくろわれた虚構は一気に崩れていくのです。天皇陛下は、水俣の地において、虚構にとらわれることなく、自ら、真実に生き、正しくあろうとして、実直な思いを語って下さったのではないでしょうか。




齋藤 代彦 (サイトウ シロヒコ)

東海学院大学 常勤専任講師
s-saito@tokaigakuin-u.ac.jp

東海学院大学紀要 第9号 27-45ページ 2016-02-29発行 掲載論文

セルジュ・チェリビダッケ ― 介護福祉実践に資するチェリビダッケの肯定的理解 ―

東海学院大学 学術機関リポジトリ:上記本文をダウンロードしてご覧いただけます。



東海学院大学 健康福祉学部 総合福祉学科 齋藤代彦研究室
紹介インタビュー記事(介護をもっと好きになる情報サイト「きらッコノート」)


 
 東海学院大学 健康福祉学部 総合福祉学科では、学生 一人ひとりなりの人間的な魅力と社会福祉の実践者にふさわしい清らかな優しいこころねを尊び、温かく育み、国際的視野を有する教養人として社会へ羽ばたいてもらおうと、介護福祉学にかかわる授業においても熱意をもって教育に携わっています。

 わたしは、都立民営の身障療護施設における実務経験に基づき、第8回の国家試験を受験して介護福祉士となりました。
 その後、第19回の国家試験における実技試験では、かつて受験者であったわたしが、今度は実地試験委員を務める立場になりました。
 2001年度(平成13年度)から介護福祉士養成施設の専任教員として勤務し続けていて、2020年度(令和2年度)で、20年目(短大で11年、専門学校で3年、大学で6年目)となります。